History

お菓子の歴史

第5話 マリー・レクザンスカ
(Marie Leszczyn'ska) 1703~1768

22歳でフランス王ルイ15世の妃となったマリー・レクザンスカ。
元ポーランド王とはいえ亡命して一小貴族の娘であったマリーが、王妃に選ばれた理由は、王の嫡子が早く得られる様にと、健康で出産可能な年齢であった事でした。
ちなみに彼女は2男8女を産んでいます。
非常に教養が高く、王妃としての役割を、威厳を持って果たしていましたが、ルイ15世に大きな影響力を持っていたフルーリー枢機鄕と対立し、諸事から遠ざけられてしまいます。
又、ルイ15世が数多くの公妾や寵姫を持ち、次第にマリーから離れたため、彼女は信仰に専念すると共に、
ヴェルサイユに修道院を設立し、貧しい子女の教育に力を尽くしました。

一方マリーは、デッサンや音楽を好み、美食家であったといわれています。
美食家という点は、大きく父親の影響があったかと思われます。
マリーの父、スタニスラス・レクチンスキーは、一時ポーランド王でしたが、数々の戦争の後、王位を失いその後ハプスブルグ家からロレーヌ公領を得て公爵となりました。
日本でもポピュラーなお菓子、マドレーヌの由来を調べていると、このスタニスラス公につながりました。

1775年、ロレーヌ地方、コメルシーのお城で晩餐会を開こうとしたところ、菓子職人が料理人と喧嘩をして出て行ってしまったため、 代わりにマドレーヌという手伝いの娘が作ったお菓子が大変美味しく、スタニスラス公はとても気に入り、彼女の名をとってマドレーヌと名付けたといいます。
現在でもコメルシーでは、6月の第一日曜日にマドレーヌの日を祝うお祭りが催され、この地方の名物です。

私も貝殻の形が大好きでよく焼きますが、作り方も配合もシンプルなだけになかなか満足のいくマドレーヌが出来ず、今現在も試作を繰り返しています。


もう一つ、スタニスラス公まつわるお菓子で有名なものに「ババ」があります。
公の大好物だったクグロフが乾いていたので、パティシエに命じてお酒入りのシロップをかけてみたらおいしく、お気に入りとなり、 当時の愛読書「千夜一夜物語」にちなんで、自ら「ババ」と名付けました。

一昨年、パリを訪れた折、2区にある「ストレール」というパティスリーで、この店の名物「ババ」を買って、宿へ持ち帰りましたが、ケーキ箱の底が抜けそうなくらい強いお酒のシロップが浸み込んでいて驚きました。

「ストレール」はパリで最も歴史の古いパティスリーというだけあって歴史の重みを感じさせるお店でした。
それもそのはず、創業者はなんとスタニスラス公のパティシエだったのです。


1725年、公の娘マリー・レクザンスカがルイ15世に嫁ぐのを機に、ストレールもヴェルサイユ宮殿に移り、ルイ15世夫妻専属のパティシエとなります。
5年後、独立してモントルグイユ通りに店を構えました。
印象深かったのは、お菓子屋さんなのに惣菜料理がおいしそうに並べられていた事。

調べてみると、 中世においてお菓子とは道端で売られるウーブリー(薄焼きのワッフル)などのことで、パティスリーとは、肉や魚などのパテを作る店の事。
1566年、シャルル9世によってウーブリー売りとパティシエがひとつの組合にまとめられ、パティスリーでもお菓子が作られるようになりました。

ストレールは、塩味のパテやタルトなどを作るパティシエ・砂糖菓子を作るコンフィズール・焼き菓子を作るウーブロワイエ・ケーキ職人・パン、デピスを作るパンデピシエといった、 いくつもの仕事をひとつの店で行った先駆者でした。
ちなみにキッシュを買って朝食にしましたが、大変美味しかった事を覚えています。

話を戻して、スタニスラス公は姫君マリー・レクザンスカを大層可愛がっており、愛する娘に、当時お気に入りだったパティシエ ストレールを差し出します。
結果、フランスに様々なお菓子がもたらされ、その後のフランス菓子に大いなる影響を与える事になりますが、 スタニスラス公の思いは、ルイ15世がポンパドール夫人に夢中で、王妃としての影が薄かった娘を心配し、少しでも夫婦間が良くなるように、娘の気持ちが和むようにとの願いが込められていたのではないでしょうか。

昔も今も、王家も庶民も、娘を思う父親の唯一無二な愛情に、深く感じ入るものがあります。

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