History

お菓子の歴史

第3話 マリー・アントワネット
(Marie Antoinette) 1755~1793

歴史上あまりにも有名な、フランス国王ルイ16世王妃 マリー・アントワネット。
彼女は、オーストリア女大公マリア・テレジアとハプスブルグ家の神聖ローマ皇帝フランツ一世の十一女としてウィーンで誕生。幸せな幼少期を過ごします。

1770年、14歳で当時フランス王太子であったルイと結婚。
ヴェルサイユ宮殿での生活が始まります。

1774年、ルイ16世の即位により、フランス王妃となりますが、趣味や性格の不一致から夫婦仲は思わしくなく、アントワネットは寂しさや、不慣れなフランス王室での生活を紛らわす為、夜ごと仮面舞踏会を催し、賭博にも熱中するという享楽的な生活を送ります。この浪費ぶりが国民の反感を買うことに・・・
又、お気に入りの一部の貴族達しかまわりに寄せ付けなかった為、仲間に入れない貴族達の中傷がひどくなり、これが一層、パリの民衆の憎悪をかきたてることになっていったのです。

1789年、ついにフランス革命勃発
1792年、国王一家タルプル塔に幽閉
1793年1月、夫ルイ16世処刑。次いで10月、マリー・アントワネットは悲劇的な最後を遂げます。

断頭台に登り、処刑される最後まで、凛とした態度を崩さなかったと伝えられるマリー・アントワネット。
その威厳と気品は、生まれながらに備わったものでした。

当時、隆盛を誇ったオーストリアで、自由に育てられたお姫様は、若くして異国に嫁ぎ、時代の大きな流れに飲み込まれ波乱の人生を送りますが、一つの救いは、夫ルイ16世が、彼女以外に愛人を持つこともなく、処刑される間際まで、アントワネットを案じ、彼女には罪は無いことを訴える手紙を残すなどしており、妻としては幸福であったと言えるでしょう。


さて、フランス革命前、困窮した民衆に対して、マリー・アントワネットが言ったと伝えられる
「パンがなければ、お菓子を食べればいいのに」という有名な台詞は、 実は、ルイ15世の娘、アデレイド王女の発言だったとも言われており、マリー・アントワネットに対するその他の悪評も、ほとんどが中傷やデマであったことが後年わかっています。

ちなみに「お菓子」とは、ブリオッシュのことを示し、バターと卵を使うことから、当時、お菓子の一種として扱われていました。


わがままな浪費家のイメージが強いマリー・アントワネットですが、自分の為の城を建設せず、元々、ポンパドゥール夫人(ルイ15世の公妾)の為に建てられ、完成直後に当人が亡くなって無人だったプティ・トリアノン宮殿で、家畜用の庭を作り、愛情を込めて子供を育てました。

写真は彼女が好きだったと言われる焼きメレンゲ。
簡素なモスリンの田舎娘風ドレスと麦わら帽子をかぶり、バラなどの花々が植えられた牧歌的なプティ・トリアノンの庭で、焼きメレンゲにクリームをつけて食べるマリー・アントワネット!
なんと優雅な光景であったことでしょう。


ウィーンからアントワネットが伝えたものは他にもたくさんあり、クロワッサンやコーヒーを飲む習慣もその一つです。

又、クグロフは、彼女の大好物で、当時のヨーロッパで流行しました。

クグロフ(Kouglof)とは
クグロフ型で焼いたアルザス地方の伝統菓子です。
ドイツとの国境に位置するアルザスはドイツ文化の影響もあり、かつてはビール酵母を発酵させて焼いていました。
ちなみにドイツ語では、「クーゲルホフ」。 "ホフ"=ビール酵母の意味

紀元は古く、17世紀頃から作られていたようです。
東方の博士が、キリスト誕生を祝いにエルサレムに行く途中、アルザス地方の村、リボーヴィレの陶器職人に宿を借り、その職人が作る帽子のような陶器を使って、お礼にと作ったパンがクグロフの始まり、という説もあります。


私もクグロフ型が大好きでいくつか持っています。
オーストリーから持ち帰った陶器のクグロフ型も大切にしています。
私はだいたいイーストを使用せず、バターケーキの生地を色々と工夫してクグロフ型に流して焼きますが、
アントワネットのお好みは、どのようなものであったのでしょうか。
とても興味深く思います。

今年の4月、今田美奈子さんの展覧会で拝見したマリー・アントワネットのテーブルセッティングを思い出します。
ブルーのクロスにリボン、シルバーのポットとカトラリー、ピンクのバラ、そして中央にクグロフ。
それは華麗なものでした。

その素敵なセンスとスタイルは、現代にも通じるものがあり、ましてやお菓子好き・・・という点で、
私の中では幼い頃からあこがれのお姫様であることに間違いはありません。

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