現在でもコメルシーでは、6月の第一日曜日にマドレーヌの日を祝うお祭りが催され、この地方の名物です。
私も貝殻の形が大好きでよく焼きますが、作り方も配合もシンプルなだけになかなか満足のいくマドレーヌが出来ず、今現在も試作を繰り返しています。
もう一つ、スタニスラス公まつわるお菓子で有名なものに「ババ」があります。
公の大好物だったクグロフが乾いていたので、パティシエに命じてお酒入りのシロップをかけてみたらおいしく、お気に入りとなり、 当時の愛読書「千夜一夜物語」にちなんで、自ら「ババ」と名付けました。
一昨年、パリを訪れた折、2区にある「ストレール」というパティスリーで、この店の名物「ババ」を買って、宿へ持ち帰りましたが、ケーキ箱の底が抜けそうなくらい強いお酒のシロップが浸み込んでいて驚きました。
「ストレール」はパリで最も歴史の古いパティスリーというだけあって歴史の重みを感じさせるお店でした。
それもそのはず、創業者はなんとスタニスラス公のパティシエだったのです。
1725年、公の娘マリー・レクザンスカがルイ15世に嫁ぐのを機に、ストレールもヴェルサイユ宮殿に移り、ルイ15世夫妻専属のパティシエとなります。
5年後、独立してモントルグイユ通りに店を構えました。
印象深かったのは、お菓子屋さんなのに惣菜料理がおいしそうに並べられていた事。
調べてみると、 中世においてお菓子とは道端で売られるウーブリー(薄焼きのワッフル)などのことで、パティスリーとは、肉や魚などのパテを作る店の事。
1566年、シャルル9世によってウーブリー売りとパティシエがひとつの組合にまとめられ、パティスリーでもお菓子が作られるようになりました。
ストレールは、塩味のパテやタルトなどを作るパティシエ・砂糖菓子を作るコンフィズール・焼き菓子を作るウーブロワイエ・ケーキ職人・パン、デピスを作るパンデピシエといった、 いくつもの仕事をひとつの店で行った先駆者でした。
ちなみにキッシュを買って朝食にしましたが、大変美味しかった事を覚えています。
話を戻して、スタニスラス公は姫君マリー・レクザンスカを大層可愛がっており、愛する娘に、当時お気に入りだったパティシエ ストレールを差し出します。
結果、フランスに様々なお菓子がもたらされ、その後のフランス菓子に大いなる影響を与える事になりますが、 スタニスラス公の思いは、ルイ15世がポンパドール夫人に夢中で、王妃としての影が薄かった娘を心配し、少しでも夫婦間が良くなるように、娘の気持ちが和むようにとの願いが込められていたのではないでしょうか。
昔も今も、王家も庶民も、娘を思う父親の唯一無二な愛情に、深く感じ入るものがあります。